武楽座 注目記事

【 「武の美」 ― Introduction to Bunobi 】

武楽 創始家元 源 光士郎

 

【 代表挨拶 】
武楽 創始家元/武楽座 代表 源 光士郎

私が「武の美」という概念を発見し、その表現体系としての「武楽」というジャンルを創始したのが2005年。その翌年、活動基盤としての「武楽座」を立ち上げ、国内外にて多数の公演や演武をご披露する機会を頂戴し、講演などでも「武の美」をご紹介して、皆様のご協力を賜りながら昨年10周年を迎えました。
その記念すべき2016年には、「武の美」の表現活動として「SAMURAI ART展」「武の美展」などに結実できたことは一つの大きな前進となりました。

そして、今年2017年は織田信長公が正一位を賜ってから100年を迎えます。この意義ある年を記念して、この9月に日本橋三越本店にて開催されました「GAME SYMPHONY JAPAN PREMIUM WEEK Vol.2」内の特別企画「日本の美意識」におきまして、私たちが主題とする「武の美」の表現として、「武楽(ぶがく)」の舞の公演等のほか、戦国武将ゆかりの方々の招聘と歴史的なゆかりの品々の展示等のコーディネートを担わせて頂きました。

この企画では、一歩踏み込んだ新しい試みとして、歴史上に輝く戦国武将にゆかりのある国宝級の品物と「武の美」を多角的に表現した「武楽」の舞、末裔の方々やゆかりの人々と地域をつなぎ時空をこえた立体的な表現から、武士、武将の美意識を浮かび上がらせました。今と言う時代にあらためて武将の美と心を、貴重で歴史的な文化財を揃えることができましたのも、戦国武将末裔の方々、御所蔵者の方々をはじめ、各方面の皆様のご協力の賜物と、心より感謝申し上げます。

「武の美」の概念の提唱より10年以上の時が経ち、「武楽」や「武の美」展示等、その表現活動の発展に伴い、ここに改めて、「武の美」について簡単にまとめ、次なる表現活動へと翼を広げて参りたいと思っております。

 

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1. 「武の美」とは  ― 「武楽」、そして武藝運動の提唱

 

1) 武道の別名は「美道」である

武道というのは本来、戦う技術、大切なものを守るために計算された目的を持った技術です。そこには、研ぎ澄まされてきた結果、現出した「美」があります。具体的には、全身一致の動き、自然の摂理に抗わない動きなどです。
さらに、自分と向き合い相手と向き合う中で見えてくるものがあります。自分が何のために生き何のために死ぬのか、人生の大義というものに焦点を当てていき、その「生き様の美」にまで到達していく。それが武道であり、武士の生きる道。言い方を変えれば「美しく生きる道」、つまり、武道は「美道」であると言えるのです。

 

2) 「我、武に美を見出したり」 ― 「武の美」の発見と「武楽」の創始

その「武」という機能や目的に特化した「美」、それらを「武の美」と表現しています。
ここでいう「武」とは、「武道」であり、武具甲冑や装束の美しさだけでなく、その生き様や精神性までも含む「武士文化」を指しています。
この「武の美」というものは、美術刀剣や国宝にも指定されている赤韋威鎧(あかがわおどしよろい)のようにすでに美術真也芸術性を認められている側面もありますが、その枠組みのみを言っているのではありません。
むしろ、その外側(内側)にある実際にその道具を使う術者の、洗練された身体、術理、生き様にを置いた美の提唱です。

一方で、武士というものは武道だけをやっていたわけではなく、高い教養人として能や茶の湯、香道や詩歌などのたしなみを身につけていました。あるいは禅であったり質素堅実な生き方、独特の美意識を持った生き様を生きています。それらの側面をバラバラにではなく多角的(multi-aspect)に一つの作品上に表現し、芸術文化として再構築(再生)した「サムライの美の復興」(サムライルネサンス)の表現体系として「武楽」を創出致しました。

 

3) 本寄稿の目的

本寄稿は、この「武の美」という新しい美の概念の普及と「美しく生きる」のを目指す芸術運動(アートムーブメント)の紹介を目的としています。

形の美である甲冑や刀が展示されている状態にも「武の美」がありますが、それは一側面だけであって、それを歴史的な文化財ということだけでなく、そこにはサムライという生き様の芸術家、美しい人生を生き抜いたという芸術家の美意識がこめられたものであり、それらは「芸術的だ」とは思われているかもしれませんがそれだけでなく、ゴッホやピカソと変わらない「芸術」であるということを推し進めていく、それがこの芸術運動(武藝運動)なのです。

そして、「武の美」の認識や理解を通して一人ひとりが美しく生きることを意識することによって、世界はより美しくなり得ると考えます。このアートムーブメントは世界を美しくする可能性があるのです。

 

 

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 2. 「武の美」の表現活動

 

1)  「武の美」を改めて明文化する

「武」に「美」あり、とは言え、本来の価値より安く見積もられているのではいけません。古武術をやっている人に人間国宝がいないことなどにみられるように、武道・武術の文化的価値をもっと認めるべきであると考えます。表面的に表現されたものではなく、本質的な動きの術理に思想がこもっています。従来のサムライ文化の取り扱い方に革命を起こす気概でやっており、その構想10年以上の歳月を経て、その一つの結実した形として本寄稿をまとまています。

 

2) 「武の美」の活動は2006年から

私は、概念の発見とその表現体系としての「武楽」の創出、また、2006年にその表現団体として「武楽座」の創設より、この「武の美」の表現活動を続けて参りました。
大きく形を実らせたのは「武楽座」の10周年企画としての位置づけでもある、2016年「SAMURAI ART展」(セゾンアートギャラリー主催)及び「東京江戸ウィーク2016」での「武の美展」(上野精養軒)です。「武の美展」は世界文化遺産でもある上の恩寵公園での東京江戸ウィークと連動した、多角的な表現となりました。

 

3) 11年目の新たな展開

今年、2017年9月、日本橋三越本店にて開催されました「GAME SYMPHONY JAPAN PREMIUM WEEK Vol.2」内の特別企画「日本の美意識」におきまして、私たちが主題とする「武の美」の表現として、「武楽(ぶがく)」の舞の公演等のほか、戦国武将ゆかりの方々の招聘と歴史的なゆかりの品々の展示等のコーディネートを担わせて頂きました。

特筆すべきは、美術品であり国宝級の文化財でもあるゆかりの品と武楽の舞との「時空を超えた共演」です。また、最先端の技術である「SONY PROJECT REVIEWN」と連携し、これらの活動が本やCDと同様の動画コンテンツとなったことも、時空を超えたアート表現としての進歩と言えます。

また、今後は、この歴史的な武将ゆかりの品とその武将をテーマとした武楽の舞、そしてその武将ゆかりの地が連携した、時空を超えた三位一体の相乗効果によるアート表現へと動き始めています。アートと地域を結んで、サムライ文化の文化・観光資源としての価値を再構成しアートに昇華する展開です。

こうして既にあったものを連携させることにより新たな価値を創造していると自負しております。

 

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3. 「武の美」の定義

 

① 武術の美

~間と均衡、静謐と閃耀~

武術の美とは、武道・武術の磨き抜かれた身体技法に現れる美です。

武術は、より早く、最小限の力で、最大の一撃を加えることが全ての世界。それは徹底的に無駄を削ぐ機能美です。小手先で動作するのではなく、全身一致の動きから発せられる一撃に込められた美。軸を立てる、互いの中心を意識する、刃筋を通すなどの技を、目に見えるように空間に掘り出していく術。それはまさに間の芸術だと言えます。

 

② 武具・装束の美

~戦場は檜舞台~

武具には、決死の覚悟で戦に臨む、武士達の想いが込められています。

日本刀は研ぎ澄まされた機能美の結晶であり、鎧兜は命を守る守護神で、そこには信仰的意味合いもありました。

例えば、兜の一般的な前立飾りはクワ形で、農耕民だった先祖への敬意の表れだといいます。鹿の角には神の力が宿るとされており、トンボは前にしか進まないことから勝虫で、縁起がいいとされ用いられていました。これらの武具には、自然を模範とし、生を全うする豊かな情感が感じ取れます。

また、武士がたしなんだ能の装束にも、武士の美意識が宿っており、公家好みの雅楽や、町人好みの歌舞伎に比べ、華美になりすぎず、落ち着いた風合いが多く見受けられます。

 

③ たしなみの美

~礼、感謝ともてなし~

礼とは、相手を敬うことであり、共にあり調和することです。それは、能、茶道、華道、香道、詩歌など、武士がたしなみとしたものにも見られる美学です。

それらは、おしなべて享楽的な娯楽ではなく、克己的で、生を静観し、人生に内在する豊かさを浮かび上がらせるもの。

また、茶の湯に見られる、閑寂、簡素、枯淡の境地。それは死という、通常否定的に捉えられがちなものを受け入れることで生を充実させた、武士の生き様にも通じる美意識です。

そういった世界観を通して、一期一会の絆を深めていたのでしょう。

〜相手を尊重し、もてなす心〜

茶道、華道、香道、詩歌なども武士のたしなみでした。具体的にいうと、茶道は相手をもてなすサロン的なコミュニケーションの場。香道もしかり、華道も同様です。詩歌を詠んだりするのもコミュニケーションの一つでした。

それらに通ずるのは、礼という精神で、その礼というのは、相手を思いやる心を形に表したもの。それがたしなみであり、教養になり、そして享楽的で贅沢な娯楽ではなく、克己的でストイックな道と言えます。

 

④ 生き様の美

~先祖代々、子々孫々のため~

山鹿素行(一六二二~一六八五)は泰平の世における武士の役割を論じ、文武両道をわきまえ、武士がまず世の中の模範とならなければならないとしました。そのように、武士というものは、自分の命を賭けて大切なものを守ったり、使命を達成しようとつとめる存在のことをいいます。

つまり、自分さえよければいいとか、利己的な考えとは対極な美意識を持っていたのです。そして、目的に対して純粋無垢、質素堅実で、無駄に華美にならず、贅沢をせず、清い生活を送っていました。

 

⑤ 平和思想

~平和の心としての武~

2000年前の書物『春秋左氏伝』には、『矛を止むるを武となす』という言葉があります。近代柔道創始者、嘉納治五郎の言葉に「自他共栄」とあり、「力なき正義は無能なり。正義なき力は暴力なり」とは極真空手・大山倍達の言葉です。

そして、600年の歴史を誇る日本武道の源流「天真正伝香取神道流」では、「兵法は平法なり」として、戦わずして勝利を得ることが最上であると教えています。

武の道は、相手を打ち負かすことではなく、己を律することで達せられる、平和の道なのです。

 

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4. 「武の美」の表現体系としての「武楽」

 

1) 「武楽(ぶがく)」とは

<武道×伝統芸能のサムライアート>

「武の美」の表現体系として、私、源 光士郎は2005年に「武楽」を創始致しました。

「武楽」は、「武の美」を主題に、当時の武士が実際に稽古した古武術や、武士の嗜みであった能や茶の湯などの武士文化を融合させ、多角的に再編集・再演出し、琵琶や筝・鼓・笛・和太鼓といった和楽器の演奏とを組み合わせた、確かな日本の伝統文化にも基づきつつ革新性と独自性を持った、ダイナミックでスタイリッシュな文化芸術です。

戦って勝つことではなく、その洗練された美を追求する武術の新しい道であり、神楽・伎楽・雅楽・舞楽・猿楽・田楽・能楽・文楽・歌舞伎に続く、新しいジャンルです。また、サムライの思想・学問・知識・芸術などの復興を目指す文化運動「武藝運動」の総合芸術として、広くその表現活動を行っています。

 

2) 「武楽」の意義

「武楽」は、「武の美」を提唱しただけではなく、その展示表現の一つとして 「武の美」をアートとして成立させた点にその活動意義があります。

 

<以下、近日公開予定>
・転換点: 武道武術/アート/伝統芸能 における「武楽」の転換点
・総合芸術
・武の美の含有量:武楽と雅楽と歌舞伎